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March 17, 2005

プロの条件

「週刊!木村剛」プロ選手とアマ選手の違いとは何か?に対する投稿です。このブログの中で木村氏はモノ書きのプロとして長くつづけていくことは大変だと述べている。そこで私が思い出すのは手塚治虫氏の述べているプロの条件です。もちろんマンガ家としての条件です。それは「一定以上のレベルの作品を書きづつけられること」という意味のことを言っていたと記憶している。アマの場合は好きな話を書けばいいけどプロになったらそうはいかない、自分の好みに合わなくても、読者に認められるレベルの作品を書きつづける覚悟ないといけないということだと思う。もちろん覚悟だけではいい作品が書けるわけではないのでプロへの道は厳しいです。

さて、プロという言葉にはその職業で収入を得ているものという意味もあったと思う。それで自分は何のプロなんだろうと考えてみた。一応勤め先ではSEという肩書きだが、自分ではプログラマだと思っている。プログラマといえば一応専門職だと思うのだが、なぜかなるためには資格も特別な教育もいらない。つまりだれでもなれるのだ。実際フリーソフト作家などのアマより力がないプロのプログラマが山ほどいる。まあそんな状態だからプロとしての自覚が乏しくて自己投資など自分のレベルを保つ努力をするプログラマは少数派だ。それでも通用するから不思議だ。

思うに、全体のレベルが低いから横並び主義の日本では問題になることは少ないのだろう。ただそれでは国際競争力はつかないだろう。いまのまま行ったらプロのプログラマは多くが職を失い、オープンソースの開発などやっているアマは相変わらず元気、なんてことになるかもしれない。

そんな分けかどうか知らないが、資格を作ることが好きなお役所がプログラマというか、コンピュータ技術者、今風ではIT技術者だな、のレベルを測る資格というものを作った。ITSSと呼ばれている。ITスキルスタンダードのことらしい。レベルは1から7まであるのだが、どの段階だとプロだとは定義していない。しかし、一人で仕事ができるのはレベルは3以上で、レベル4で人を指導できるレベルということなのでこのあたりがプロの条件と思われる。私は「プロであるために」にある内容程度はプロのプログラマとしては必要だと思っている。

最近企業でも成果主義とか実力主義とか言って社員の給料を削る算段をしているところが多いけど、今まで横並び、年功序列できたサラリーマンは、本当の意味での競争にさらされていない分、プロとしての実力は「?」な人が多いような気がする。もちろん、例外はいて、努力を惜しまずプロと呼ぶにふさわしい力を持った人もある程度はいるだろう。しかし、絶対数からいったら少数派な気がしてならない。これは技術者に限定しての話ということで、他のことはよくわからないので。

今後は日本でも終身雇用が崩れて、雇用が流動化していくと本当のプロ以外は職にありつけなくなるだろう。私もだれからもプロと認められるように努力と自己投資を続けないといけないなあ。

PS.
実力主義の話がでたので日ごろ思っていることを、本当に実力主義で社員の給料に差をつけるなら、新入社員の時からきっちりつけるべきだろう。それができない、できていないところは、実力主義を導入する実力がない企業だと思う。

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March 15, 2005

オープンソースはGPLだけではないのに

オープンソース(GPL)は都合のいいことばかりではないよという栗原氏のブログを読んだ。やっぱり「オープンソース=GPL」なのだろうか。確かにメディア一般ではそんな扱いではある。しかし、実際はオープンソースだからと言って必ずしもGPLとは限らない。「さまざまなライセンスとそれらについての解説

オープンソースという言葉は結構新しくて1998年ごろにできたと記憶している。メディア的にはまずLinuxブームがあって、それからオープンソースという言葉が広がったと思っている。オープンソースという言葉はLinuxやApacheやSambaなどの再配布可能なソフトをまとめて呼ぶ言葉として作られた印象がつよい。ここいらの経緯は手元に資料がないのでいいかげんな私の記憶便りで心もとないが、Linuxの普及と大きく結びついているように感じる。そんな訳でLinuxが採用しているGPLがオープンソースの代表となっているのだろう。

代表となっているのはかまわないが、メディアに紹介されるとなぜかGPLしか無いような言い方になってしまう。GPLは話題としては扱いやすいのだろうか。メディアとしてはそれでいいのかもしれないが、実際に現場で開発をしているような人達まで同じ感覚では問題だろう。

上記のブログの中でノウハウを守るために自社開発の部分をROMに焼くという話があったと述べているが、そんなことするぐらいならNetBSDを使えば問題はないはず。BSDライセンスならノウハウのある部分はソースを公開しなくてもよい。実際技術力があるベンダーはそのような選択をしている。そのようなところと組めば無理してLinuxを使う必要はない。

そもそも自社のノウハウをソースの形で公開したくないと思ったら、もっといろいろ調べると思うが、そう考えるのは私だけなのだろうか。GPLを嫌うならBSD系のOSという選択肢はかなり魅力的なはずだ。しかし、あまり採用されたという話題は聞かない。Linuxを組み込み系のソフトして機器に組み込んでいるようなメーカが単に知らないだけなのだろうか。それはちょっと信じがたいのだが。世間のイメージに流されて判断してしまうのだろうか。

それともNetBSDのような日本語の資料が少ないオープンソースは扱いたくないのだろうか。それこそ使っているところが少なければ、ものにすれば差別化になるし、なによりソースの公開が必ずしも必要無いのだ。姑息な手段をいろいろ考えるよりそちらの技術を手に入れるよほど有意義だと私は考えるのだが。

やっぱり知らないだけなのかなあ。

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March 09, 2005

ライブドアはネットが分かっていない?

ライブドアによるニッポン放送株の大量取得で当事者の堀江氏は相変わらずテレビに出まくって自説を説明している。その中でネットでは従来のメディアのようにニュースを供給する側がニュースの中身を判断、選別する必要がないという趣旨のことを言っているようだ。テレビや新聞と違ってインターネットでは記事ごとのヒット数を計測できるからそれを記事の指標にすればいいとう考えだ。これは江川紹子氏の堀江氏へのインタビューでも触れている。新聞社としての価値判断が一切入らないのがいいと堀江氏は述べている。

単純に人気で記事を選ぶという発想は面白いが、長期的に成功しないと私は思う。なぜかというとすでに似たことを行っているメディアがあるからだ。それは少年ジャンプという漫画誌だ。これは読者からの人気ランキングで掲載漫画を選んでいる。人気がなくなると連載中止となる。このシステム最初は上手くいっていたのだが、だんだん掲載される漫画の内容が似てきてしまって、行き詰まってきているようだ。最近も続けているのかはよく知らない。

そして、もっと気がかりなことがある。それは2ちゃんねらーに代表されるネットの中でいろいろな遊びを楽しむ人達の存在だ。彼らはネットの文化の一部を担っていると思う。そして過去にライブドアは彼らにいいように遊ばれたことがある。それは、新球団名ネット公募のときだ。ただうけだけを狙った球団名が上位に並んでしまったのだ。きっと記事もアクセスラインキングだけで選んだら、同様に遊ばれることは間違いないだろう。

ライブドアという組織も堀江氏もネットのことをあまりよく分かっていないと感じることが多い。ニッポン放送の株取得に関してもいろんな情報がブログなどを中心に流れることをあまり意識していなかったのではないかと思ったりする。江川氏とのインタビューの内容を見てもネットを支えている多くの人のことを考えているような発言に感じられない。堀江氏自身は一部の選ばれた人が全体をリードしていくという考えを強く持っているように感じる。しかし、ネットによってそれが否定されていくと私などは考える。既存メディアがネットに取って変わられると述べている割に自分が作ろうしている枠組みが既存メディアのものから抜け出ていない気がしてならない。

さて、やっぱりソフト開発会社だったと言われるか、それともインターネット企業は違うと言われるか、1年くらいで分かるだろう。

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March 08, 2005

呼び名の混乱が問題なのか?

栗原氏のブログでRFID、ICカード、無線タグ等々の用語をしっかり区別しましょう

という話題を述べている。なんでもRFID(無線識別)関係用語が混乱して使われていて、混同した結果本来使うべきでないところで使われるなどの弊害が発生していると言うのだ。

RFIDという言葉を、ICタグに対してや非接触のICカードに対して使っているということです。私は誤解していまして、ICタグや非接触のICカードなど無線を使って個別の識別をするものの総称としてRFIDという言葉があると思っておりました。しかし、違うようです。説明の部分を引用させてもらいます。

>RFID(無線識別): 無線でID情報のやり取りを行うテクノロジーの総称(飛行機の機体認識システムなんかもRFIDに含まれるようです)。
>RFIDタグ、無線タグ、ICタグ、スマートタグ: RFIDテクノロジーを物品につけるタグに応用したもの。
>(非接触型)ICカード、スマートカード、RFIDカード: RFIDテクノロジーを人が持ち運
ぶカードに応用したもの。

RFIDは技術を指すのであって、それを使った製品(ICタグやICカード)を指すわけではないようです。ここで問題視しているのは、ICタグとICカードを混同していることだと思われます。つまりICタグは低コスト化が重要なので、セキュリティは貧弱になる。つまりそれでもかまわない用途に使うもの。それに対してICカードはセキュリティにお金をかけて人が使っても安全であることが前提なもの。この2つを混同すれば安いからとICタグをセキュリティを無視して使うという問題がでてくる可能性はあります。

私が面白いと思ったのは、呼び方が混乱しているので、利用方法も混乱しているというもの。皆さん、雰囲気で判断しているのね。

なにか技術を導入するときには、その対象に対して利点や欠点を検討して総合的に判断するものだと思っていたのです。しかし、そうしないところが沢山あることがこの話から分かるわけで、やっぱり技術が分からない人が判断しているのだろうと勘ぐったりしてしまいます。ここんところセキュリティやプライバシーに関しては世間はずいぶんと神経質になっているにもかかわらず、呼び名の混乱程度で間違った判断がされるとは悲しくなります。新しく技術を導入するときにそれらに関して暗号化などの対策がとられているかちゃんと検討しないで導入しているということすですからね。それらの検討をする専門家はないがしろにされているのでしょうね。

私は呼び名の混乱なんかより、必要な技術検討が十分にされない風潮の方が問題に思えます。結局技術が分かる専門家が責任あるポジションにいないのだろうと思われるからです。新しい技術が普及していくときにその中身を十分理解せず、世間に流布しているイメージで判断したらきっと大きな問題があとから出てくるでしょうね。ただそのときに中身を吟味したかではなく、技術そのもを問題視するようなことにならなければいいと心配してしまいます。


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March 02, 2005

ブログでの引用

「週刊!木村剛 」に私のブログの一部が引用された。私は結構ミーハ−なので、木村氏のような有名人のブログに引用などされると、嬉しい、しかも鋭いコメントなどと言っていただけると有頂天になりそうで怖い。これを励みに特徴のある内容を書いていくように心がけたい。

私がこのブログを始めてまだ1ヶ月ちょっとしかたっていない。そういう意味でブログ初心者というわけだ。それでいろいろブログの作法とかあるのだろうと、他のブログを読みながらいろいろ学んでいるところだ。トラックバックのやりかたなども作法があるのか、ないのか、いまのところみようみまねでやっている。実はブログを始めて最初にもらったトラックバックが木村氏からのものになった。

木村氏は物書きとして長いと自らのブログで述べているが、さすがと感じたのは、私の文章の引用のしかだ、私が一番言いたいと思って書いた部分を的確に引用している。おそらく忙しい方なので、そんなに時間をかけてトラックバックのあった各ブログを読んでいるわけではないだろうに、さすがである。

ネット上での議論でよく引用は問題になる。あまり引用が長いと著作権の問題が発生するし、短くしすぎて書き手の意図と違ってしまうこともある。後者は故意にやったり、そう誤解されるとフレームの原因になったりする。実は私はこの2つともやったことがある。特に後者の引用のミスで書き手の意図と違う内容にしてしまって、故意にやったと思われて、その後ズットそういうことをやる書き手と思われてしまったことがある。原因は私が引用する文章をしっかり読まなかったためか誤解してしまい、結果引用も誤解の延長で行われてしまったものだ。

ブログやWebなどでは、URLをつけてリンクを張ることで部分引用はしなくても話はできる。過去の失敗もあってか私はブログで文章の引用はやっていない。これからもすることはほとんどないと思う。ただ、適切な内容で上手い引用はできるようになりたいとは思うので、なにか挑戦は必要だろう。

今回嬉しいことがあったので、書いてみた。まだこのブログも始めて間もないので、これからいろいろ試して見たいと思っている。

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March 01, 2005

皆、悪の根源が欲しい

大阪府寝屋川市の小学校で卒業生の17歳の少年が教職員3人を死傷させた事件で、いろいろ原因が語られているが、そのなかで少年がテレビゲーム好きだったことを理由にまた、テレビゲームを悪者にする論調がでているようだ。この手の話題はかなり昔の宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件いらいよくおこる現象だ。

だいたい悪者にされるのは、メジャーではない新しいものだ。その昔はテレビがやりだまに上がったと聞いている。その後が漫画、アニメで、今はテレビゲームというわけだ。テレビにしても漫画、アニメにしてもその売上が大きくなって経済的に大きな存在になることで批判されなくなってきているという話も聞いた。そういう意味ではテレビゲーム人口は最近あまり増えていないので、ずっと批判の対象になる可能性が高い。順番からいったらインターネットあたりが次に批判の対象になるのだろうが、すでに経済的な規模が大きくなっているので悪者にならなくてすむかもしれない。

テレビにしても、アニメにしても、テレビゲームにしても皆インドアで楽しむもので、そのあたりが批判されやすいと私は思っていた。外に出て楽しむもの、スポーツの類がこの手の悪者にされるのを私は見聞きしたことがなかった。大学のスポーツクラブの選手が痴漢を行っても、そのスポーツが悪者にされることはなかった。これが、大学のアニメクラブのメンバーとかだったらきっと違っていたような気がする。

そんな思いを描いていたら、国際ゲーム開発者協会のサイトにその昔野球が悪者にされたことがあった事実がのっていた「野球害毒論」。明治末期というから100年近く前の話だが、やっぱり新しい娯楽に対して批判は行われていたのだ。きっと探せばもっと昔からあったに違いない。「近頃の若者は」という批判がエジプト時代からあったという話を聞いたことがあるが、きっと同様に紀元前からあったに違いない。

自分達になじみの薄いものを悪者にしておくと、人は安心するのだろうか。確かに悪の根源があれば、そこを絶てば悪はなくなる訳だから便利ではある。しかし、そんなものがあったならきっと人類はすでにその根源を絶っているはずだ。しかし、実際はちがう、事態は昔と変わっていない。つまり悪の根源なんてないということだ。いろいろ悪い事は相変わらず起きる。その理由もいろいろあって一筋縄では解決しないのだろう。私は割と楽観的で人類の英知がいつかは解決すると信じている。私が生きているうちにそんな時代が着てくれるとうれしいのだが、はてどうなることか。

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