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April 19, 2005

中国の反日デモとマスメディアの関係

中国で反日デモが暴徒と化す事件が毎週末起きていることが報道されている。日本での報道ではネット上での呼びかけが原因とのこと。しかし、ちょっと違うように感じる。テレビの映像や報道されている情報から私が推測するのは、携帯電話による呼びかけのような印象がある。デモの参加者が膨れ上がっていくのは携帯電話で友達を誘っているという印象をもつ。そのようなコメントをしているテレビ記者もいた。確かにネット上での呼びかけでデモは計画されいる可能性が高い。しかし、ネットの情報だけからだんだん参加者が膨れ上がっていくという現象はおき難いと思われる。

テレビにしても新聞にしても、それらしい理由(ネットによる呼びかけ)があればあまり検証や裏をとらないで安易に報道してしまうようだ。だから実際のことは分からない。本来分からないなら、分からないと報道すべきだが、どうも理由付けして報道しないと不安なようだ。もう一つそのように報道されていると感じるのが、中国政府へ向けた批判を反日に向けさせるいわゆるガス抜きを行っているいう報道だ。実際はメディアの感想というか推測にすぎないのに、デモという事実と同等の扱いである。このあたりに今の日本のマスメディアのいい加減さを見ることができる。

私が今回の中国の反日デモの現象で関心があるのは、メディアの役割についてである。日本の報道によるとこの反日デモに関する報道は中国ではほとんど行われていないということだ。中国政府としては自分達の恥になるような情報は国内的には報道しないという習慣がついているのだろう。SARS流行時に痛い目にあったことはもう忘れてしまったようだ。似たようなことが日本でもし起きたとしたら、当然テレビ、新聞でトップ扱いでデモの様子を報道するだろう。そのような状況で果たしてデモの参加者達は暴力行為をおこなっただろうか。自分が悪さをしていたことが全国放送されるとなると、自制するのではないだろうか。他の都市のデモ隊が暴力行為を行っているのを見ると、反日デモに参加する人は減るのではないだろうか。

メディアが真実を伝えるということは、いろんな意味があると思う。ただ、馬鹿なことをしている人たちを報道するだけでも、馬鹿な行動の抑制につながるような気がする。もちろん逆に煽られる可能性もあるのだろうが、私は一般人の良識を信じたい。

日本のマスメディアでネット上の情報から反日デモが起きているという報道は、無意識だろうが、ネットの脅威を感じているマスメディアがネット上の情報をネガティブなものとして報道したいという欲求の表れではないかと思っている。それで、既存メディアとしては、もっと、自分達の能力をアピールすべきだと私は思う。つまり、中国では報道規制があって、反日デモの様子がマスメディアに乗らないことが、ネット上の煽りが力を持ち、このような悪い状況を作り出している。そんな分析を披露するマスメディアがあってもいいように思うのだが、残念ながら私の目にはとまっていない。

日本でもネット上の呼びかけが既存のマスメディアの報道を超えた力をもつような事件が起きるのだろうか。私はその可能性は非常に低いと考えてるが、さてどうだろう。

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April 17, 2005

ジーコが強運だとは思わない

「週刊!木村剛」やっぱりジーコは御運だけなのか?に対する投稿です。
日本代表ともなると、みんな自分達のものという意識がはたらくのだろう。チームや監督に対する意見を表明したがる。得にサッカーは国際的にもその傾向があるせいか、日本でもよ話題になる。私も結構サッカーは好きで年に何回かはJリーグの試合を見に行く。今まであまり日本代表について語ったことはなかったのだが、ちょっと日ごろ思っていることを書いて見たいと思う。

まず、前日本監督のトルシエ氏から、私はトルシエは嫌いだ。理由は私がファンの中村俊輔選手を代表から落としからだ。しかし、トルシエ氏が監督としてどう評価されるべきかと言えば、十分に評価されるべきだ。目標通り日本をワールドカップでベスト16にしたのだから、病気になったこともあるが目標の金メダルをとることができなかった野球の長嶋氏とは大違いだ。その割にトルシエ氏の評判は日本では今ひとつだ。私と同じで起用法や作戦が自分の好みと違うから嫌いな人が多いのだろう。しかし、起用法や作戦は監督が選ぶのが当たり前で、結果が出ているのに自分の好みと違うからといって監督として能力を批判するのは間違いだろう。

さて、本題の現日本監督のジーコ氏だが、ここのところ勝っているのにやっぱり評判が悪い。それは、いつも危なかったしい勝ち方をするからだ。ロスタイムの得点で勝ったことは一度ではない。アジアカップでも接戦をものにしての優勝という印象だ。あげっくにこの間のバーレーン戦ではオンゴールでの勝利だ。運だけで勝っているなどと言われたりしている。

しかし、ロスタイムでの得点による勝利がなぜ幸運によるものだと決め付けるのか私には理解できない。開始直後の得点でも幸運によるものがあるし、失点しなかったのも幸運だというのだろうか。私はジーコ監督になってからロスタイムでの得点による勝利を何度か見て、日本代表もたくましくなったと喜んだものだ。いままでなら、そうトルシエ監督や岡田監督や加茂監督の時代だったら、得点できず引き分けに終わっていただろう試合で勝利するようになったのだ。だいたい、野球で、さよならヒットで勝利したら劇的な勝利と言われる、幸運な勝利などという論評を聞いたことはない。このあたりまだ日本のメディは野球ほどサッカーが分かっていないのかもしれない。

この変化は間違いなくジーコ監督の意図していることだと私は考えている。Jリーグが出来る前、ジーコ氏が日本のチームに招かれたときに選手達の闘争心の無さに驚いたという話を聞いたことがある。日本の選手は恵まれているのかブラジルの選手に比べてハングリーではないのだろう。ジーコ監督になってから選手達は試合終了の笛がなるまで決してあきらめることなく勝利を追及するようになったと思う。その結果がロスタイムの得点による勝利が続く原因だと私は考えている。

フランスワールドカップで強いチームの試合を沢山見た時に感じたのが、日本のサッカー選手に一番足りないのは創造力だということだ。トルシエ監督になって、海外のチームに積極的に選手を送り出すことで、選手の創造力は少しは改善されているように思う。もう少し国際レベルの指導者が日本の若い選手を指導するようになるとより改善されるとは思うが、そこまでは簡単ではないだろう。今の選手達が指導者になるまでまつ必要があるだろうな。ジーコ監督が選手の創造力に問題があると考えているかどうかは分からないが、今までと同じではダメと考えているのは間違いないと思う。

ジーコ監督の目標はワールドカップでベスト8だといわれている。まあ、前回より高い目標を掲げるのは普通だろうが、前回はホームという非常に有利な立場でのベスト16であることを考えると、かなり高い目標になる。そのためには日本代表のサッカースタイルを変えるくらいは必要だろう。それが今のジーコ監督のスタイルだと私は思っている。そして、ブラジル代表はワールドカップの決勝戦でベストコンディションになるように予選から調整しているという話だ。元ブラジル代表のジーコ監督もきっと同じに違いない。予選はどんな形でも勝って突破すればいいのだ。一番強い相手と戦うときに最高の力が出せなくては、予選でいくら横綱相撲で勝利しても意味はないのだ。

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April 15, 2005

サザエさんとドラえもん

ドラえもんの声優陣がこの4月から一斉に交代することになって話題となっている。もう20年以上も続いている長寿番組で、スタート当時からメインの配役は変わっていないので声優の人達もかなりなお年になってしまった。声というのはそれなりに手入れをすれば年をとらないようで、声優としての仕事ができなくなるときが配役を降りるときみたいな感じだ。だから長寿番組でもメンバーが変わらないわけだ。

きっかけは、サザエさんのカツオ役の高橋和枝さんの死だと思う(余談だが初代カツオ役は確かドラえもん役の大山のぶよさんだったと思う)。ばらばらとメンバーが交代していくのはちょっと悲しいものがある。そこで気分一新もこめて、ドラえもんではメインの配役の総入れ替えを行うのだと思う。サザエさんの方は少しづつ入れ替えていくみたいだ。今回ワカメ役の野村道子さんが交代したのだが、私の予想ではドラえもんの交代にあわせてレギュラーをなくしたのだろう。野村さんはドラえもんではシズカ役をやっているのです。

さて、ドラえもんの新しい声優達にとってはなかなかの挑戦だと思う。演出の方がどう対応するかわからないが、20年以上も続いた声のイメージをどう変えていくのか、それとも変えないのか。以前ルパン三世でやはりメインの配役をすべて変えた映画が一度作られたことがある。しかし、多くが前の声のイメージを引きずって中途半端な雰囲気になってしまったと私は感じている。その呪縛があるのか、主役のルパン三世の声優の山田康雄さんがなくなっても交代できず、声帯模写の栗田貫一さんをつかってそのままの声の雰囲気を続けている。

水戸黄門の例を見ていると、主要メンバーが変わったことで人気に影響することは少ないと思う。どちらかといえば作品の出来の良し悪しだと思う。しかし、結果が悪かったときにやっぱりオリジナルメンバーでないとダメだという意見は出てくるだろうなあ。
でも、今のドラえもんのメンバーは2代目ですからね。最初のアニメ化の時とメンバーは違うはず。配役はさすがに覚えていないけど、ネットで検索をかければすぐわかるだろ。

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April 11, 2005

オープンソースとネットでの情報発信

朝までテレビで面白い発言を聞いた。司会者が病気をしてから面白みが減ったと感じるので最近はあまり見ないが、今回は面白そうな人がでるので見てみた。そのお目当ての一人の小飼弾氏が、オープンソースの普及に絡めて、これからは情報は受け手の責任で使用すべきだと発言した。

番組には、既存のマスメディアで飯を食っている人が沢山でているためか、その発言は総スカン状態だった。メディアとして情報の信頼性を保証して情報を発信することは大変重要なことなので、ある意味当然の反応なのだろう。

ただ、小飼氏の発言の真意はちょっと違うところにあると私は思っている。それは、小飼氏がオープンソースプログラマーという肩書きを使って登場したことと関係があると思っている。この手の番組では職業を肩書きとするのが一般的だが、オープンソースプログラマーでは普通収入が得られないので、職業ではない。プログラマーが本業でオープンソースのソフトも書いているとかいうのが本来の姿だろう。つまり、小飼氏はオープンソースというものをテレビで宣伝しようという意図があるようだ。

そこで、先の発言「情報は受け手の責任で使用すべきだ」は、オープンソースで供給されているいろいろなプログラムの使用を意識したものだろう。事実発言の説明でオープンソースでは使用者責任でプログラムを使っているという発言を行っている。

私はネットでの発言や議論には10年以上の経験がある。そこから言えることは、確かにネット上での発言(情報と言っていいだろう)を個人の責任で取捨選択することは、ある程度経験をつめば可能だと思う。そのための条件としては、発言者が特定できることが必要だ。つまり本名であろうと、ハンドルやペンネームであろうと、同じ人の情報発信であることが分かることが重要なのだ。同じ人がいつもどんな情報を発信しているかを見ているとその人が信頼に足る人がどうかある程度分かってくる。その知識をもとに情報の信頼性を判断することができる。

また、コミュニティができてくるとその中での評判なんかも判断の基準にできる。このあたり、オープンソースのソフトの評判を基準に採用を決めるのに似ているといえないことも無い。ただ、オープンソースは、ソースを見ることで中身を調べることができるが、普通の情報ではそれはできない。その部分が大きな違いといえるだろう。

ただ、情報の受けて責任という面は、ネット経由の情報だけではなく従来のメディア経由のものについても同様に必要だと私は考えている。確かに、NHKのニュースや4大新聞の記事はそれだけで信頼にたると考えてしまうことが多いが、よく見ると必ずしも正確とは限らない。ネット上の個人が発信しているものとの大きな違いはひどいうそや中傷がないことだろう。

このあたりはオープンソースにも似たところがある。お金を出して買ったソフトはある程度の品質は保証されている。しかし、有料のソフトより無料のオープンソースの方が品質がよい場合もあることは事実である。情報に関しても同様なことが、ブログなどの発達のおかげで言えるようになってきたと感じる。

さて情報に関しても、LinuxやApacheのようなコミィニテイができてそこの情報が商用のメディア並みに信頼されるような日が来るのだろうか。

「これは投稿です」

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