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September 28, 2005

親の教育責任を学校にすりかえたのはマスコミ

最近良くぞ言ってくれたと思う記事にあまりお目にかかれなくなってきたが、「週刊!木村剛」?キレル小学生の教育は親の責任です!で、お目にかかることができた。

どうも教育だけでなく躾まで学校の役割と勘違いしている人達が多い。そのことをはっきり指摘しているメディアの記事をあまり見たことがない。そんな中、最近は小学生が教師に暴力をふるうという記事に対して、木村氏ははっきり親のしつけの問題と断言している。いや気持ちいい、拍手を送りたいです。

最近は体罰に対しても異常と思えるほど否定する傾向があり、廊下に立たせたり、グランドを走らせたりすることすら否定する人がいる。そんな状況では直接的にはなにも実害がないと判断力の乏しい小学生は思うためだろう、教師を舐めてかかって暴力をふるったりするわけだ。

私も木村氏と同じように子供の教育には体罰が必要派だ。それには、自分がそうやって育ってきたというのが大きい。しかし、体罰を肯定するとそれだけで野蛮人扱いされてしまう。仮にも知識人として名のとおっている木村氏が体罰を肯定する発言をすることはそれなりに勇気がいる行為だと思う。
体罰否定派の人たちって本当にそれだけで子供を一人前に育てられると思っているのだろうか。いや体罰なしで一人前に育てた例をどれだけ知っているのだろうか。そのような例は聞いたことがないのだが。

どうして学生が問題を起こすとすぐに学校の教育が問題になるのだろう。私はこれはマスコミの問題だと捉えている。未成年者がなにか事件を起こしても実名報道はできない。当然親の顔や名前を出すことは無理。本来ならそんな育て方をした親の責任を一番に追求すべきなのだが、それができない。

マスコミはとにかく原因を特定するのが好きだ。しかも悪いことに単純でわかり易いものを好む。だから多くの場合報道できない真の責任者の親のところには行かず、報道可能な学校に行くという寸法だ。
学校側としてもプロの教育者としての責任感とプライドがあるから、「我々に関係ない」などと言ってマスコミを追い返すわけには行かず相手にするわけだ。しかし、今度ちょっと厳しくしつけようとすると、体罰だと騒いでまた押しかける。まあ、マスコミは教育責任はないと思っているので平気なんだろう、ほんと困ったものだ。

せめて、マスコミには親の監督責任についてもう少し詳しく報道して欲しいものだ。例えば、子供が他人を傷つけたときに民事でどんな責任を取らされるかなどだ。

最後に、教師に暴力を振るう小学生は昔からいました。私がそうでした。そんな私でも家族や周りの人たちのおかげで道を踏み外すこともなく一人前の社会人になっています。統計を正しく見ると未成年者の凶悪事件は減っているそうです。メディアの人達は特異な例を報道するばかりではなく、その時の社会の様子を数字で示す事も行なって欲しいものです。

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September 20, 2005

権利を主張するばかりが得とは限らない

栗原潔のテクノロジー時評Ver2大事なのは大人の対応で、愛知万博公式マスコット「モリゾー&キッコロ」の目と口を逆転させたパロディー版に対して、万博協会が「人気が全国区になった証し。実害もなく、目くじらを立てるほどでもない」とコメントしていることを大人の対応とほめています。

確かに、ちょっとしたことに権利を振り回すやからが多い最近ですが、必ずしも創作者のためになっているとは限らないと思っています。過去にこんなものを書いたこともあります。

万博協会の「人気が全国区になった証し」というコメントをみて感じたことがあります。それは、昨今のアニメ、漫画のキャラクターブームです。メディアなどでは「萌え」という言葉と結び付けている場合が多いようです。この流れ、漫画やアニメの権利を持っている企業がファンのパロディー漫画などの創作活動を著作権を盾につぶすようなことをせず、ファン活動として見守った結果だと私は考えています。

今回の万博協会のような大人の対応をしたわけです。その結果、アニメ、漫画市場は盛り上がり、新しい優れた創作物が多く出てきて、現在のような輸出競争力がある大きな市場を育てる力の一部になったと思っています。ファン活動であったためだと思いますが、やさしく見守り大人の対応をしてきたことで、市場が広がり、結果として自分達の売り上げも伸びたと思います。その上に、ファン活動としての創作活動から新しい作家が生まれ、市場は益々大きくなっているのです。

目先の利益ばかりを追って権利を振り回すと、かえって市場の広がりを押さえて、将来の売り上げや、自分達に利益をもたらしてくれるであろう作家の登場を失うことになる可能性があることにもっと気が付いてもらいたいものです。

やたら権利にうるさいディズニーは新しいアニメを作る力を失っているように感じます。最近の面白い映画はみなPIXAR作品でした。そしてPIXARも去ってしまいました。

権利をやたらに行使するのではなく、大人の対応を取ってファンの支持を得たところが結果生き残るのだと思います。

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September 05, 2005

ICタグの利用は諸刃の剣?

この夏、愛地球博へ行ってきた。大阪の万博以来、日本での万博はそれなりのトッピックがあったと思う。今回の地球博はロボットだろう。しかし、今回見たところではあまりロボットの大きな展示はなかった。混んでいる企業パビリオンを避けたことが大きいかもしれないが、それなりに多様な展示があったと見ることもできる。

さて、地球博のチケットにはICタグが入っている。このICタグのおかげかどうか、インターネットから人気パビリオンの入場予約や、会場で当日の入場予約をすることができる。しかし、現実問題としては、これらの機能はあまり利用できなかった。

インターネット予約は予約可能日の夜にアクセスするとすでにすべてのパビリオンが予約終了になっている。その中には行ってみると当日待ち時間がゼロのパビリオンもあった。なんか旅行業者でもまとめて予約しているんじゃないかと勘ぐったりしてしまう。
当日予約も一日に一館しかできない。この仕組みは公平さを保つためでもあるし、ICタグ付き入場券のおかげといえないこともない(バーコードでも同じことはできるけどね)。こちらも開場前から並んで、入場と同時に予約ステーションへ向かったのだが、夕方の6時の予約しかとれなかった。後ろであと15人で予約終了と説明していた。

ICタグを使うことで、入場券にシリアルNO.を振って管理することで、ネット予約や当日予約をできるようにしたことは一見よいように見える。しかし、炎天下に長時間並ばなくてもよい、このようなシステムを使ってほしい老人などは利用しにくい印象を受けた。

聞いたところによると、当日予約や人気パビリオンの列の先頭部分は、来場者ではなくて会場で働いている人たちが占めているらしい。その後禁止されたということだが、排除する方策をとっていないければ、行われているだろう。実は私も前の万博、85年のつくばの科学博でそのような行為を行ったことがある。私の場合はイベントの出場者という立場であった。そのようなパスを持っていると一般入場口とは別の入り口から、開場時刻に関係なく入場できる。だから開場前に人気パビリオンの列に並んでおけば開場と同時に見ることができる。今回の地球博でも同じ行為は行われていと予測していた。

さて、せっかくICタグ付きの入場券を使っているのだから、その日に正規の入場口から正規の時刻に入場した人だけしかパビリオンに入場できないようなシステムにすることは簡単にできたはずだ。しかしそのようにはなっていないようだ。入場券のシリアルNO.の確認も当日予約したパビリオンでしか行われなかった。

なぜだろうか、事前に公平さを保つようにシステムの構成を考えなかったのだろうか。その可能性は十分ある。公平さを保つために半年しか使わないシステム開発にコストをかけるより、宣伝効果が見込める部分だけシステム開発しておけば十分という見方があるからだ。それとも、過去の博覧会の実態を調査せず、安易にシステムを作った可能性も十分にある。さて実際はどちらだろうか。もし後者だとすると、なまじっかICタグなどを使ったためにシステムを開発したメーカの技術力(システムの設計能力と言っていいだろう)の無さが見えてしまったことになる。

便利なものを使うと、それを使いこなせない場合に力の無さを露見してしまうことがあるということだろう。コンピュータやインターネットもそうだけど、便利なものを使うときには自分の力の程度が他者に分かってしまうことを自覚して使わないといけないということだろう。

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September 02, 2005

インターネットはビラ爆弾だった

衆議院選挙が告示されていよいよ選挙が始まった。なんでも今度の選挙はブログが普及して初めての国政選挙だそうだ。別にブログでなくてもWebページで同じことできるから、見る側からは変わらないんだよね。まあ、書き手が増えたとか、アメリカでブログが選挙戦に影響があったとか、そんなところが話題になっているのだろう。

「週刊!木村剛」公職選挙法は憲法違反ではないのか?で、「著述や演芸等いかなる表現方法によっても、候補者や政党を応援したり批判したりできない」と公職選挙法の第146条に書いてあり、これは「集会・結社・表現の自由」を定めた日本国憲法第21条に反するのではないかと述べている。

この公職選挙法が改正されたときに、憲法違反だと散々批判していたのは、私の記憶が間違っていなければ、共産党と公明党だったと思う。当時、大量の選挙ビラをばら撒くことが選挙中行なわれていた。それで野党の当選者が増えたと考えた与党が、こんな法案を出してきたわけだ。(私の記憶違いでなければだが)

当時、大量の選挙ビラが郵便受けに入れられて、ビラ爆弾なんていわれたことを覚えている。確かに郵便受けからあふれる位にビラが配られたことはあったようだ。当時選挙にお金がかかるるという批判があって、読まれもしないビラにお金をかける必要はない。だからそんなものは禁止して選挙にかかる費用を節約しようというのが、立法の趣旨だったと記憶している。本当は、有権者への接待(買収との違いは?よくわからない)とかにお金をかけていたらしいのだが本当のところは隠されて、代わりの建前が宣伝される。今のナンチャッテ郵政民営化となんら変わりない。政治は進歩していないねえ。

ビラ爆弾を規制するための条文がインターネットでの発信を規制してしまっているというのは、なんとも皮肉だ。インターネットを使えばコストを抑えて同等以上の活動ができるのに、選挙費用を抑えるためにも、ポスターなんか減らしてネットを活用するように条文を改正すべきだろうね。それがこの146条の建前の趣旨にもあっているはずだ。

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September 01, 2005

防災の日って関東中心だよなあ

今日9月1日は防災の日。なぜ、いまだに関東大震災の記念日に行なっているのだろう。阪神大震災が10年前に起こったから、その日に変えればいいのに、せめて隔年で行なうとかしたらどうだろう。

9月は気候もいいし、野外訓練を行なうにはやりやすいとは思うけど、災害は何時くるか分からないものだから、いろんな季節に行なっておくほうがいいと思うんだけど。

関東大震災の記憶があるからか、東海沖地震の心配からか、関東地区では震災に対する訓練がそれなりに行なわれているようだ。阪神大震災が起こったときに、訓練がぜんぜん行なわれていなかった関西圏の人たちはかなり混乱していたと感じた。例えば炊き出し一つできなかった。まあ、食糧備蓄もなかったんだろうけどね。だから、毎年訓練を行なうことはすごくいいことだと思う。

しかし、せっかく訓練をするならより有意義にやりたいではないか、毎年同じ日に同じことをやっていては、いざという時の役立ち具合が小さくなってしまうと思う。訓練を企画する側は、同じことをすればいいので楽なんだけど、訓練企画の段階から、実は防災訓練として行なわないと、想定外のことがどんどん増えていくと思う。関東の防災訓練に阪神大震災の経験者、特に市町村の職員の人たちを招いて内容をチェックしてもらうなどと言うことは行なわれているのだろうか。

全ての訓練が徒労に終わればそれに越したことはないのだけどね。

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