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March 28, 2006

ガンダムワールドとバイストンウェルそして...

現在、最初のガンダムの監督の富野氏による映画、Zガンダムが上映されている。三部作の最後、いわゆる完結編だ。十数年前に放映されたTVシリーズの映画化なのだが、結末を変えているということで宣伝している。具体的なことを書くとネタばれになるので、書かないが、まあ、TVシリーズでは続編のZZを映画では作らないということのようだ。
理由は最後セイラさんがちらっと出てきたから、TVシリーズでは、ZZの最終回に出てきたパターンと同じなので。
セイラさんの声優の井上瑤さんはすでになくなっているのに、映画の声が聞き覚えがあると思ったら、なんと過去の録音から作ったものならしい。映像のデジタル処理技術が進んで過去の映像に現在の俳優が登場するような映画はいくつも作られているが、声では聞いたことがない。そのうち、もっと長いセリフのものも作られるかもしれない。たとえば山田康雄の新作ルパン三世とか。

さて、ガンダムの映画が上映されるとともに、同じ富野氏の作品である「リーンの翼」の新作がOVAとしてDVD発売されるようだ。最初のガンダムから、20年以上、ガンダムの世界(ガンダムワールドと言っていいだろう)を舞台にしたシリーズは随分沢山作られた。リーンの翼はもともと富野氏の同名の小説が元になっていると思う。舞台になっている世界バイストンウェルは、ガンダムと同じように富野氏のTVアニメ「ダンバイン」の世界だ。ガンダムはモビルスースなのだが、ダンバインはオーラバトラー。設定はいろいろあるが人が乗って操縦するロボットという点で共通点がある。富野氏の小説では「オーラバトラー戦記」というものもあって、バイストンウェルを舞台とした物語は、ガンダムほどではないけど、いろいろ作られている。

ガンダムが長い人気を保っているのは、最初の設定が非常に良く出来ていることによるところが大きい。しかし、それだけではない。ガンダムの人気のおかげで多くのグッズが売れて稼いでいたバンダイの方針が大きく影響している。バンダイがある時期(記憶がさだかではないが、21世紀に入ったころだったと思う)にキャラクタービジネスをガンダム関連に集約したことが、今の人気の原動力だと私は思っている。バンダイの業績が悪化したときに、今までいろいろなキャラクタービジネスを行っていたものを、人気があったガンダムに絞り込んで、重点投資をおこなったようだ。定期的に新作のTVシリーズを作っているのもその一環のようだ。

なんか資本の原理で、作品の人気が左右されるのはいやなのだが、これが現実なのだ。それで、富野氏の作品を使って利益を得たのなら、その一部で富野氏に新作アニメを作らせてもらいたい。私の好きな氏の作品世界でペンタゴナワールドというものがある。昔富野氏は、この世界を舞台にした作品をまた作りたいと言っていた。その気持ちが今もあるなら是非ともつくってもらいたい。

富野氏はインターネットをやらないそうだから、この文章が氏の目に留まることもないだろうなあ。

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March 27, 2006

ROBO-ONE9回大会観戦記

3月17から19日にかけて二足歩行ロボットの格闘大会ROBO-ONE J-classとROBO-ONEの大会が開かれた。このうち18、19日に開かれたROBO-ONE大会を見てきたので、その感想を書いてみる。内容については、ここここを参照してください。

前回私がROBO-ONEを観戦したのは第2回大会、4年ほど前になる。その時には歩くのがやっという感じの出場ロボット達が、今回は自由に動き回っていた。
決勝トーナメントへ進出したロボット達をみると、特に走行性能のよいロボットはほとんど人が歩き回るのと同じようにリング上を動き回っていた。まだ、動きのぎこちないものもいたが、トラブルがなければ、操縦者のすきなところへロボットを移動させることができているようだった。これからは、好きにな場所へ移動できるだけではダメで、より速く、より有利なコースでの移動が必要になるだろう。

現在は、ロボットの動き(モーション)は操縦者のコマンドで動かしているものがほとんどで、しかも一つの動きを指示しているようだ。これからは、もっと連続した動きのコマンドを実現したロボットチームが有利に試合を運ぶようになるだろう。たとえば、ただ前進ではなくて、10cm前進とか、弧を描いて右前方15cmの地点に移動とか。
大技については、すでに複数のモーションを組み合わせての動きが実現されているので、このような移動や連続技のモーションがより自立的になるのは時間の問題だと思う。おそらく次回大会にはそのようなロボットが出てくるだろう。

今回予選も最初からじっくり見ることができたことも収穫だった。決勝トーナメントに出てくるような完成度の高いロボットばかりではなく発展途上のロボット達をみることができた。ROBO-ONEは出場資格検査を厳密に行うようで、ぜんぜん動かないようなロボットはなかった。実際エントリーしたロボット数が140台くらいあったらしいが、予選に出てきたのは79台だそうだ。実は予選にでるだけでも結構なものだ。

出場79台中決勝トーナメントに進めるのは32台なので大体4割が決勝トーナメント進出となる。見ていた感じでは課題の「走る」をなんとかクリアできる程度の完成度であれば決勝トーナメントへは出られたようだ。しかし、だんだんこのハードルは高くなるだろう。また、ここまで出場ロボットがよく動くようになっても今の予選制度を続けるのだろうか、演技を審査委員が採点するというのは、オリンピックのフィギアスケートの例のように採点の客観性が問題になってくるように感じる。

今の予選制度は、主催者側が意図したデザインのロボットが有利に働く。ここまでは二足歩行にこだわった大会を運営するのには役に立った制度だと思う。やたら低重心とか、人型ぽくないデザインを排除することで、より人間的なデザインのロボットが順調に登場してきたからだ。しかし、主催者側の意図があまり強く働くと、まったく新しい発想のデザインが登場しづらくなると思う。それはそれでつまらないと感じるのは私だけではないと思う。

決勝トーナメントの対戦について、今回足の裏以外をリングについての攻撃(いわゆる捨て身攻撃)が制限された。一度ダウンを奪うとその攻撃技は使えないというルールのようだった。しかし、ちょっと誤解があって、どんな技も一度ダウンを奪うと使えないと勘違いしている人が選手や、ゲスト、司会者あたりまでいたような印象を受けた。

捨て身攻撃にはいろいろ問題があることも今回実際に観戦して分かった。それは、相手から攻撃されてうまく防御ができない時に捨て身攻撃のモーションを起動してしまうのだ、そうすれば、相手の攻撃によるダウンなのか、攻撃の結果リングに足の裏以外をつけたのか判定困難になるからだ。このような受身の方法は大方ダウン扱いになっていなかった。しかし、たまにダウンと判定されて、公平性の点から少々疑問が残った。見ていた印象では、このような場合は積極的にダウンと判定すると事前に宣言してダウンとすればよいと思った。そうすることで捨て身技の制限にもなるし、普通の攻撃技の進歩にもつながると思われるからだ。そうそう、投げ技が有利なようにするのもありだと思う。

立ち位置の問題も感じた。スリップダウンや攻撃によるダウンで起き上がる必要があるときにロボット同士が絡まらないようにレフリーが離れるように指示するのだが、リングの中央にいるほうが有利なのでなかなか動かないチームがあった。素直にレフリーに従った結果不利な位置で試合再開になっているチームが多く見られて、少々疑問が残った。またレフリーの指示を聞かないと試合が再開されないのだが、すでに余分にダウンを奪っているチームがあえて指示を聞かないことで時間稼ぎをしているように見受けられるものもあった。このあたり以前に比べてロボットの動きが格段によくなったために操縦側にいろいろな選択肢が増えた結果だと思う。やはりロボットの進歩に合わせてルールを改善していかないとダメだろう。

ではどう対処するか、なかなか難しい。ボクシングではダウンを奪った選手はコーナーに移動しないとカウントを始めない。このルールを適用したらどうだろうか。どこか決められた位置まで移動しないとカウントを始めない。そしてカウントを始める前に起き上がればダウンとはしない。以前と違い出場ロボットの多くがそのような動作を実現できるレベルに達していると思う。

スリップダウンの時はレフリーの判断で強制移動させればいい。そして、ダウン数で決着がつかないときに、人が触った回数が多いほうが不利になるような判定ルールを入れればいいだろう。

他にもダウン以外のポイントを新設する方法もある。柔道の一本以外に技ありや有効、などのポイントで争う方法だ。そしてスリップダウン、攻撃ダウンもマイナスポイントにカウントする。ただ、ちょっと複雑になっていしまうので、もう一工夫必要だと思う。

さて、次回はどんなルールになるだろうか。そして、どんな新しいモーションが登場してくるだろうか。

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March 10, 2006

Winnyで情報流出させた警官はなぜ取調べられないのか

最近警察官の私物パソコンからWinnyのウイルス経由で捜査情報が流出する事件があいついでおきている。警視庁長官が著作権違反で摘発されたソフトを使うことは警察官としての意識が欠けており信じられないと言ってる。私はそのような悠長なことを言っているのが信じられない。

Winnyを作った人は著作権違反幇助の罪で起訴されているわけだ。だったら、使った人は著作権違反で取り調べられるのが普通だと私は思うのだが、なにかおかしいだろうか。なぜ警察はWinnyを使っていた警察官を逮捕して取り調べないのだろう。

そもそもWinnyの作者を逮捕したことが勇み足としか私には思えない。確かにWinnyは著作権違反のコピー作品をやりとりするのに使われている。しかし、作った人はその行為に無関係だ。時速150kmで走れるスポーツカーを作ったメーカがスピード違反の幇助で逮捕されたり取り調べられたりしているのだろうか。そうでなければ法の下の平等に反するのではないか。

さて、そのWinnyの作者(金子勇氏)が公判のなかで弁護側の質問に答える形で、Winnyにウイルス対策をすることは比較的容易にできると述べたそうだ。そして、ウイルス対策の改良を施したことでまた幇助にとわれるとも答えている。これはかなりの皮肉だと思う。実際作者が逮捕されていなければウイルス対策は行われていただろう。そして全部とはいわないが、情報の流出事件の数は減っていただろう。

警察は本当に馬鹿なことをしたと思う。しかし、作者が無罪になったとしても、逮捕した警察組織が責任をとわれることはないだろう。このあたり、罪する必要はないと思うが、警察としての能力の査定はしっかりやってもらいたいものだ。

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March 06, 2006

経済学は科学か?への反論をもらいました

bewaad institute@kasumigasekiさんより経済学は科学か?にトラックバックをいただきました。コメントしたかったとのことですが、私のブログでは私にコメントをきちんと管理する能力がないので、トラックバックの受付のみにしております。ご理解おねがいます。

最初bewaadさんのコメント欄に回答しようと思ったのですが、長くなったのでブログの形で回答します。

まず私は、「経済学は科学」と考えています。先の私のブログでも明確な言葉では言っていませんが、そのような前提で書いています。ただ、物理学などに比べて、歴史が短いので、まだまだ発展途上だという認識です。

具体的または論理的な反証をあげて反論できていないという私の主張に対してbewaadさんは具体的な反論はしているととのことですが、私の文章能力がないために、何に対する反証なのかが、十分に伝わっていないようです。つまり、「経済学は科学ではない」という中村氏の主張に対する「具体的または論理的な反証」は、私の読んだ範囲では目ぼしいものは有りませんでした。その後出てきているかもしれませんけどね。

残念ながら、具体的な反証とよべるものは、中村氏があげた人や著作に関するものばかりです。そのような反論の仕方をするのは、ブログやそのコメント欄では比較的一般的です。でもそれでは、「経済学は科学ではない」という中村氏の主張に対する反論にはならないのです。ただ、氏の上げた証拠をつぶしているだけです。証拠を全部つぶしても、結論は「中村氏の主張には根拠がない」です。それでは、「経済学は科学である」という主張にはなりません。このあたり、中村氏の術中にはまっていると感じるわけです。

科学的な論証の方法として、ガリレオが打ち立てたとされる方法論が、「仮説をたてて、その仮説が正しいとする証拠を、観測や実験からそろえる」というものです。中村氏は、「経済学は科学ではない」という仮説をたてて、その証拠と考えるものを述べています。もちろんその証拠が全て否定されれば、中村氏の主張は根拠無しです。しかし、ここで勘違いしてはいけないのは仮説はそのまま残るということです。「経済学は科学ではない=根拠なし」となっても「経済学は科学である」ということにはなりません。
「経済学は科学である」という仮説を主張するには、その仮説を証明するための根拠を挙げなくてはいけません。残念ながらそのような考えに基づいて中村氏に反論していると思われるものを、私は読んでいません。

経済学者でも文学者でも、論理的な主張をできる人はいます。そのことは否定しません。問題は、経済学者ではそのような人が少ないということです。そのような状態をみると、経済学のコミュニティでは論理的な主張ができなくても学者として通用しているのではないかという疑念を払拭できないことです。そのことを中村氏は経済学は科学ではない論拠の一つにしているように私には感じられます。

おまけ
中村氏が、コンピュータ業界の人ということで、コンピュータ業界、後、物理学の分野などで、中村氏の上げた経済学が科学ではない例と似たものを探してきて、どうだと言っている例が多く見受けられます。これなどまさに中村氏の術中にはまった例ですね。そんな例をいくらあげても、経済学が科学であるという論拠にはなりません。その上に議論としても建設的なものにならないのです。このような基本的なことは、建設的かつ論理的な議論を十分にしたことのある人は、知っています。つまり、反論者自体が、中村氏の主張の証拠になってしまっているのです。

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