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August 30, 2006

オーマイニュース日本版開始に伴うもろもろについて

市民参加型ネット新聞「オーマイニュース 日本版」が先ごろ正式にスタートした。最初の印象がどうしてこんなに重いのかだ。鳴り物入りで始めた割にサーバの能力が足りないというのがなんともお粗末だ。その段階でどの程度ネット関係の専門家の意見を聞いたか想像できる。

こちらによると準備ブログの段階からかなり注目を浴びていたようで、批判的なコメント書き込みが相次いでいわゆる炎上状態になっていたようだ。ここのガ島通信氏のブログでも触れられているが、まじめなコメントに対して対応していなのが問題を大きくしていると思われる。私のネットでの経験からも、書き込みへの対応をきちんとすることで雰囲気をある程度自分達の望む方向へ誘導することができる。ただ簡単でもないし手間もかかる。このあたりをあまく見ているようで、ネットで経験を積んでいるメンバーというか助言者がいないと思われる。

こちらのブログで売り物の市民記者の記事が日本語として読むに耐えないという指摘があったが、実はこの記事の内容が2ちゃんねらーによるイタズラだったとかかれている。池田氏はくだらないイタズラと言ってるが、私は今回のイタズラはなかなか見事だと思う。見事にオーマイニュースの運営メンバーがネットを知らないことを証明してみせたからだ。ガ島通信氏が指摘した「ネットリテラシーの低さ」を証明したわけだ。


以前ライブドアが2ちゃんねらーの人たちに遊ばれているとこんなことこんなことを書いたが、今回のオーマイニュースについてもネットを支えている人のことをどの程度考えているのか見えない。そういう意味でライブドアと五十歩百歩と思われる。

今回私がちょっと面白いと思ったのが、2ちゃんねらーによるイタズラ記事が「釣り」だったと表現されていることだ。まあ、2ちゃんねる用語だと思うけど。この「釣り」なる行為が「特定の言葉や行為」を上手く使って目的の人々を上手く誘い出すという行為だとすると、現在多くのマスコミの記事と大差ないと感じるのは私だけだろうか。私の想像するに2ちゃんねる用語の釣りの方がより目的の人々が明確なところが違う程度ではないだろうか。今回のオーマイニュースの市民記者の記事ではオーマイニュースの編集がターゲットと思われる。実は、新聞記事でも似たような手法でデスクを釣ったような記事にたまにお目にかかる。また、多くの人が読みたいと考えるような報道をしているマスコミにはよくお目にかかる。これも対象が大きいが釣り行為と見てもあながち大きな違いはないように感じる。
ただ、こんなことを書くと、詳しい人から「釣り」の意味がわかっていないと言われるような気もする。マスコミの行為は2ちゃんねらーの釣り行為に比べると稚拙だと主張されるような気もする。

それでオーマイニュースの行く末なんだけど、当分2ちゃんねらーに遊ばれるだろうな。まあ、そこからいろいろ学んでもらってネットリテラシーを高めてもらうしかないだろう。その結果どうなるかが問題だと思う。一年後くらいに様子をみることで評価がわかるような気がする。

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August 17, 2006

導入動機が正しくても使えるなら悪用する?

産業技術総合研究所の高木さんの日記にICタグを用いた「登下校管理システム」を使って仲良しグループを割り出すという記事が紹介されています。

高木氏はこの発想はクレージーだと感じると述べています。そのような発言をした教師のブログでは、応用を話しただけで使用するつもりはなかったと書かれています。ただ使用するつもりがなくてもそのような発想が出てくることが問題だと私は感じます。

ただ、最初にこの記事を読んだときに感じたのは、この教師は生徒の実態を知らないという印象です。登下校時に一緒にいる子供たちを把握することで仲良しグループが分かると考えることが、生徒の生活を把握していない証拠のような気がします。きっとこの先生は生徒達の中に入り込んだ教育は行なっていないのでしょう。

子供の交友関係が学校内で閉じているという前提でこのような話をしていると私は感じるのですが、どうでしょう。しかし、実際は、塾の友達も居れば、地域の運動クラブの友達もいます。転校した子供なら前の学校の友達とより深く交友している可能性もあります。だから、現実を知っていればこんな発想出てこないと私は考えます。
そのうえ登下校時に一緒にいる子供たちは仲がいい可能性があるというだけです。実際に仲がいいのかは直接接触しないと分かりません。

実は、この記事を読んだときに私がもっと怖いと感じたのが、子供を守るために導入したはずのシステムを大げさに言えば子供を支配する発想で使うことを思いついてしまう現実です。これは他のセキュリティシステムについても同じことで、監視カメラなんかも最初はセキュリティ目的で導入されても、そのシステムを管理している側に都合のよい使い方を思いつけばそのように使われる可能性があると考えておくべきだということです。法律などでルールを作って目的外に使用することを禁止でもしない限り必ずそのような行為をするところはでてくるだろうということです。

何事も利点だけを強調する場合は注意が必要です。かならず問題点もあるはずで、それらのバランスを考えた結果利点が勝るという理由で採用すべきです。

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August 15, 2006

去年に引き続いて第二次世界大戦を考えてみる

どうもこの季節になるとマスコミでは、先の戦争を話題にした番組が多くなる。今年は首相がどこぞの神社に参拝したとかで、中国、韓国あたりから批判がでると話題になっている。昨年も述べたが、政治家が公式に神社などに参拝するのは政教分離に反して憲法違反になるので反対だ。しかし、首相は憲法違反判決で指摘された事項を行わないことで私的参拝という形にして前回参拝を行った。裁判所の判断に従ったということで憲法違反ではなくなると思われる。このあたりの判断は、内政問題としては配慮するという首相の考えの表れでそれなりに評価できる。
残念ながら前回とちがって今回はあまり配慮しなかったようだ、報道によると最高裁で違憲判断を避けたことによるらしい。このあたり裁判所がはっきり結論をだせばそれにしたがうということだろう。
参拝自体は、内政問題にごちゃごちゃと批判をする国に対すしてはちょっと意地になっているようなきもするが、安易に言うとおりにするのも問題で外交とは難しいと思う。

ちょっと前置きが長くなったが、このどこぞ神社について考えてみたい。私は小泉首相が政教分離の原則に配慮して私的参拝の形をとったことを評価するのだが、メディアではあまりそのような論評がないのが残念でならない。できれば他の政治家も参拝時には小泉首相にならって私的参拝の形をとってもらいたい。そこらをしっかり皆がおこなえば海外からの批判に反論しやすくなる。メディアもしっかりそこいらを区別して論評してもらいたい。

私が、不思議に思うのは、なぜ内外の批判を浴びても政治家がどこぞの神社に参拝するのか、その理由が良く分からないからだ。国のために死んだ人をどうのと言うが、そんな建前だけで多くの政治家が参拝するとは思えない。また、昨年述べたように国のために先の戦争でなくなった人で祭られているのは、ごく一部にすぎない(今日の朝日新聞にも作家の半藤一利氏が死者を選別している実態に触れている)。さらに、最近のテレビ番組でやっていたが、東条陸軍大臣が出した祭られる人の条件というものがあるそうで、これはかなり厳しい基準らしく、実は現在この基準に適合しない人が多く祭られているそうだ。じゃあどんな基準かというと、戦後国の基準で補償金を受けている人が祭られているという話だ(遺族援護法だろうか根拠となる法律の名前はよくわからない)。

つまり祭られている人の親族はみなかなりの額の補償金を毎年税金からもらっているのだ。で最初の疑問の回答として、このお金が目当てではないかという推測が出てくるわけだ。政治家は支持者から寄付を募って政治資金を集めて政治活動をする。それがまっとうな政治家のお金の集め方になる。確実にまとまった収入のある集団があればそこの支持をえようとするのは政治家として当然の行動でそれじたいは非難されることではない。
とうわけで私の推論は、どこぞの神社の参拝というのは政治家にとって政治資金集めのパーティの参加者を募る活動の一つのようなものではないかというものだ。

さて、先の戦争といえば日本では第二次世界大戦のことだと言っていいだろう。ただこの呼び名は学校で習う歴史の教科書でそうなっているのだが、果たして実態を表しているのだろうか。どうも私の印象ではヨーロッパでの戦いを第二次世界大戦といって、日本は形式的に含まれているだけのような気がする。確かにポスダム宣言とか考えると第二次世界大戦なのだが。

それで、日本とアメリカが戦ったのが太平洋戦争で、だいたい日本でのイメージはこれだと思う。真珠湾を攻撃して戦争が始まり、原爆を落とされて降伏したという流れだ。実はソ連が参戦していたりしてしっかりヨーロッパの戦争とつながってはいるのだが、実際に戦争を体験した人の印象はやっぱりアメリカと戦って負けただろう。
ところで真珠湾を攻撃する前から日本は大陸で戦争をしていた。つまり中国と戦っていたのだ。これが日中戦争というやつでこちらは15年くらい戦争をしていたはずだ。しかし、太平洋戦争の終結でそのまま負けた形になっているが、どうも中国に負けたという認識を多くの当時の日本人は持っていなかったように感じる。その理由の一つに中国の国内事情として内戦が発生していたことがあると思う。
実際ポツダム宣言に署名したのは中国内戦で最終的に負ける蒋介石だったはずだ。

なぜこんなことを言い出すかというと、どうも現在の中国がやたら日本に先の戦争のことで批判をする根本には、この日本は中国に負けたという意識を持っていないということがあるような気がするからだ。現実は、負けたといって問題はないと私は思うが、やっぱり原爆落とされたり、東京を火の海にされたりした印象は強烈でアメリカだけに負けたような気になってしまったのだろう。

勝った時に、勝った事をしっかり主張できなかった中国にも問題はあるわけで、ある意味アメリカに上手くやられたともいえる。その自分達のミスを今頃にごろになってとりかえそうと批判されてもそりゃ議論がかみ合わないと思う。

政治的なことがいろいろあるので、難しいとおもうけど、歴史家はこのあたりの因果関係をしっかり説明した歴史書を一般人向けに作ってもらいたいものだ。

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August 09, 2006

ROBO-ONE Special を見てきました

8月5、6日とROBO-ONEの大会があった。いつもの本戦とはちがい、入門クラスのJ-Classと格闘ではないいろいろな競技を二足歩行ロボットが行うSpecialです。

J-Class は出場ロボットのレギュレーションが違うだけで、基本的なルールなどは本大会のROBO-ONEと同じもの。最後は3分間のロボット同士の格闘で決着をつける。ただ入門用ということで市販のロボットキットを無改造で出場することが可能。ただ、キットそのままで予選を抜けるのはかなり難しいという印象だった。子供が操作すると得点が優遇されるなど家族で出やすいルールになっている。
確かにこれなら出場することはわりと簡単にできそうに感じた。ちょっと出てみたくなったのだが、二足歩行のロボットキットはまだまだ高いのでお金の面でのハードルは高い。

Specialは走ったりボール投げや障害物競走をする競技。さらに今回バトルボールというサッカー風の競技がエキジビションの形で行われた。
自立で行われることが前提であるボール投げや徒競走(起き上がって走る)はちょっと出てみたいなあと感じた。どうも操縦する競技は個人的に今ひとつ出場しようという魅力を感じない。これは個人的な好みの問題なんで仕方がないのかもしれない。

それで、バトルボールはロボット4台で一つのチームを組んでサッカーと同じようにボールをけって相手ゴールに入れる競技。一度に8台のロボットがフィールドに立つので混戦もようになっていた。サッカーと違うのはボールを持ったロボットやパスを受けるロボットには攻撃を仕掛けてもOKというところだ。西村代表は(ロボットで)サッカーをやっている人に失礼だからサッカーと呼ばないことにした趣旨のことを言っていた。

今回、初めてということでいろいろ問題がでていたようだ。ロボット1台づつに操縦者がついているのだが、おそらくチームプレイの練習はおこなっていないのだろう。完全なピンポンサッカー状態になっていた。ボールに多くのロボットが集中するのでどうしても絡まってしまって上手くボールが扱えない。また、フィールドの外を壁で囲んでいたのでボールが隅っこへ行くとボールが動かなくなってしまう。

壁はなくすかフィールドの外側に空間を空けて壁をおく方がよいと感じた。壁がなければすぐにボールがフィールドから出てスローインになるのでボールが動かないということはおきない。
ゴールももっと大きい方が点が沢山入って、見ているほうには面白いと感じた。出来合いのゴールを使っていたようだがこのあたりもロボットのレギュレーションから決める必要があると感じた。
個人で4台ものロボットを用意するのは財政的に難しいだろう。一般競技となったとして、参加チームはそんなに出てこないと思う。運用をどうすのかそれも興味深い。

ロボカップの二足ロボットの競技(ヒューマノイドリーグ)と比べると1チーム2台と4台でやっぱり4台の方がチーム競技らしくてよかった。人が操縦しているので自立型のロボカップとは違ってよく動くというのも見ている側に楽しめる要素がある。
将来的には自立をめざすのかもしれないが、現状ではロボットの運動性能の向上を目指した方が見て楽しめるものになるように思う。ロボットの運動性能があがれば、ロボカップの小型、中型リーグのノウハウを入れるだけで二足ロボットのサッカーが実現できるはずで、アプローチとしてもこちらの方が早いだろう。

私個人としては、ROBO-ONE由来のチームが先に人間チームと戦うことを期待したい。

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August 01, 2006

マックス・ヘッドルームってご存知

XenとVMwareの研修会に出てきました。仮想化技術はおそらくこれからのトレンドとなるでしょう。それでXenの機能の一つにライブマイグレーションというのがあるそうです。この機能を聞いた時ついにマックス・ヘッドルームが実現できるようになったかと感動してしまった。ただ良く聞いてみるとマックス・ヘッドルームのようにネット上を自由に移動するところまでできないようだ。

Xenというのはコンピュータ上で複数のOSを同時に動かすことができるソフトウエアで、オープンソースとして提供されている。商用のもので似た機能を実現しているのがVMwareというソフトだ。どちらもライブマイグレーションは実現可能とのことだが、VMwareだとかなりお金が必要とのことだ。

ライブマイグレーションがどんなものかというと、OSを稼動したまま、別のサーバに移動するという機能のことをいう。この機能を使うと、サーバのハードのメンテナンスとか入れ替えをサービスを停止せずに行うことができる。他にもアクセスの集中度に合わせてそのサービスの稼動するOSをCPUパワーの違うサーバマシンに移動しするなどができる。この機能はサーバの作り方を大きく変えると思われる。OSまで含めたサーバのソフト的な部分をハードとは完全に切り離したものとして扱うことができる。

現在はのXenではHDDに持ってるデータ部分まで自由に移動できないので、HDDのデータはそのままになる。そのため移動元と移動先の両方のサーバマシンからアクセスできるHDDが必要となる。そのためまだマックス・ヘッドルームのようにネット上を自由に移動というわけにはいかない。全てのデータをメモリ上に持つことができれば、サーバマシン上を自由に行き来するサーバソフトも可能になるはずだ。また一つSFが現実になろうとしている。さてあとどのくらいかかるだろうか。

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