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November 07, 2006

いじめと自殺は分けて考えないと

ここのところいじめの問題がマスコミで騒がれている。ここに来ていじめが原因と遺書に書き残して自殺した生徒の事件が複数報道されていることがあるからだろう。以前親の教育責任と学校について書いた。テレビなどに登場する教育関係の人の話などで、いじめた側を教師が叱る(罰する)ことが難しいことが、いじめがなくならない原因の大きな要因だと言っている人たちがいる。

前に書いたのと同じ理由だと思うが、今回も学校や校長を責める報道ばかり目に付く。いじめた奴が一番責任が重いと私は思うのだが、ほとんど責任は追及されない。やっぱり未成年者に関しての報道はいろいろ制約があるので、手っ取り早く報道できる学校側を責めることになるのだろう。

さらに気になるのが、「いじめ」の問題と「いじめによる自殺」の問題をごちゃごちゃに扱っていることだ。いじめではいじめた奴が一番悪い、そしてそのいじめっ子の親がまた問題だと私は考えている。教師や学校にできることは限られている。いじめを発見したらこれら加害者にアプローチすることになるが、体罰はできないし、警察みたいに捜査もできない。変にいじめた側を公にしてしまうと、別のいじめが発生したりして単純な対応は難しいと思われる。

ひるがえって、いじめではあまり当事者と言えない親が、いじめによる自殺では当事者になる。それは、子供が自殺するかどうかは親の対応が一番重要だと私が考えるからだ。

自殺にいたる前に回りがそれなりの手を差し伸べれば、自殺を防ぐことは多くの場合可能だと思われる。そして、その役割はこどもの場合親が一番担うことになるはずだ。親がしっかりサポートしていれば、ひどいいじめにあったとしても自殺までいたることはないだろうと私は考える。それは、いじめられっこだった私の体験からもいえることだ。

ところがどうだろう、子供が自殺した親が、いかにも被害者のように学校側を責めている姿が報道されている。それをみて感じたのが、こんな親では子供はさぞ辛かっただろうということだ。子供は自殺を考える前に親に相談できなかったのだろう。

今のマスコミの報道はいつのまにか学校を責めることが目的になって、いじめ問題を解決するための報道という視点は忘れているのだろう。そんな状態ではいじめの本質が報道されることもなく、ただ学校を叩いて終わるだけだろう。そして、何年かたったらなにも解決されないで、また似たようなことがおきて、今学校側を責めている親がまた被害者のような顔をしてでてくるのだろう。

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